涼宮ハルヒの憂鬱番外編 朝倉涼子の誘惑シリーズ その1

※注:「突然ハルヒが朝倉を新団員として連れてきた」という内容の他の方の掌編を前提に書いた為、「誘惑1」は存在しません。
 朝倉涼子の誘惑2
長門に目配せすると、
「制限モード」
できれば20文字以上40文字以下で頼む。
「パーソナルネーム朝倉涼子には、攻性情報及び行動選択に極めて強力な制限条項が存在」
……ちょっと待ってくれ。
危険が無いという事は何となく解るんだが、ひょっとして中身は"あの"朝倉のままなのか?
「そう」
勘弁してくれ……。
情報統合思念体は、あなたへの入力を増加する事を決定した」
今まででもいっぱいいっぱいだってのに、これ以上なにを望んでいるんだ。
お前の親玉は単なるサドかそれともマッドサイエンティストか。
「ちょっとちょっと、なに2人でぶつぶつ喋ってんのよ」
せっかくの新入部員を放っておかれたハルヒが、腰に手を当てて口をひん曲げた。
「と言うかハルヒ。なんで朝倉さんなんだ? 転校生だからか?」
「何言ってんの? 転校生ならもう居るじゃないの」
古泉の謎の転校生属性はまだ生きているらしい。じゃあどういう理由なんだ?
「わかんないの? そのままじゃない!」
ハルヒはビッと朝倉さんを指差し、
「委員長よ! 委員長!」
俺はこの時ほど、委員長不在のまま安穏と過ごし、
帰ってきた彼女に再度それを押しつけたクラスメイトを軽蔑した事は無かったように思う。
無論、俺含め、な。

 朝倉涼子の誘惑3
それから、ひとしきりSOS団のレゾンデートルとやらと切々と説いたハルヒは、
委員長だから、と一方的に朝倉を書記として任命した。
歩く突然変異、涼宮ハルヒにしては解りやすいと言うか、どこか安直な理由である。
古泉がぼそっと、
「書記って何をするんでしょうね」
俺が知るか。
そして、長門が本を閉じる合図で、今日の会合はお開きとなった。
用事があるというハルヒと古泉は真っ先に部室を後にし、着替えていなかった朝比奈さんもペコリと一礼してそれに続いた。
 
部屋には、俺と長門、朝倉だけが残った。
「……まあ、朝倉がここに居る理由なんてもんはどうでもいいんだ」
どうせ俺の理解が及ぶ範疇では無いだろうし、下手に理解したいとも思わん。
「私が思うところは何も変わってないよ」
朝倉は、どこまでも朝倉らしく、優しく笑った。
バックアップであった朝倉が暴走したせいで、統合思念体内での立場に変動があった。そのせいで朝倉の一派は無理が利かないのだと言う。
「けれど急進派として、あなた――キョン君を通し、涼宮ハルヒのリアクションを引き出すという行動理念は、そのまま」
「どうする気だ」
「顔が怖いよ、キョン君」
何て科白だ。怖いなんて感情があるのか?
「もちろん。……長門さんに聞いたでしょう? 今の私は、攻撃しようという意志すら独断では発生させられないの」
朝倉はゆっくりと歩み寄ってくる。
俺がその場から動かなくて済んだのは、長門の視線が朝倉を捉えていたからだ。それでも唾を飲み込んでしまうのは、仕方ないだろう?
「それどころか」
努めて平静を貫いたものの、一瞬震えたのは間違いなく伝わっただろう。
朝倉の白い手が、俺の手に重なる。そして、導くように胸元――いや、細い首に俺の手を当てた。
キョン君が私の事を殺そうと思ったって、抵抗すら許されないの」
――だから、安心して?
朝倉はそう言って、聖母のような笑みを浮かべた。
 
「……いい。わかった」
辛うじてそう頷くのがやっとだ。
すると、ふふ、と朝倉は微妙に違う色で笑う。
なんだ? 疑問を感じた瞬間、それは炸裂した。
「忘れ物したわ!」
忘れ物の何がそんなに嬉しいのか。ハルヒは扉を銅鑼か何かと勘違いするようにゴガンと鳴らして部室に舞い戻った。
舞い戻って……俺と朝倉を見た。
キョン君」
それまでの摂氏2℃くらいの声とはうって変わって、不安げな声を震わせた朝倉が、
「あの……どうしたの? いきなり……」
俺の手は、いつの間にか朝倉の胸の上にあった。
……ひどい。ひどすぎる。声を震わせたいのはこっちである。これはコンピ研の一件でハルヒの共犯となったツケか何かか?
キョン?」
ハルヒは器用にも喜怒哀楽のすべてを含んだ表情で、地下50キロあたりから発せられるような声を絞り出す。目だけ笑ってるのが益々ヤバイ。
「何か楽しそうな事やってるじゃない? あたしも混ぜて欲しいなぁー」
 
ハルヒのリアクションを引き出す? ああそうか、こういうことか。
ていうか長門も助けてくれたっていいようなものだ。
「観察」
……まったくもって、先が思いやられる。
ハルヒの脇固めを喰らいつつ、俺はこの頃さっぱり封印しきれていない例の言葉をはき出した。
やれやれ。

 朝倉涼子の誘惑4
キョン君」
 昼休み、唐突に朝倉がやってきた。ハルヒがチャイムと同時にドリフトしながら突っ走っていった直後である。
 その空いたハルヒの席に座り、朝倉は花柄のハンカチに包まれた物体を取り出した。何だこれは。
「お弁当。作り過ぎちゃったから」
 全く同じような包みを2つ、机に並べると、片方を俺の目の前で開く。随分と小柄な弁当箱だ。と言うか、俺には俺の弁当があるんだが。
「たったこれっぽっちだから、お願いできないかな?」
 いつか見たお願いポーズである。
 谷口と国木田が俺のところへ来ようとして、この異様な光景を見て固まっていたが、やがてゾンビのような足取りで教室を出て行った。と、言うかだな、自分を殺そうとした人間……いや宇宙人が作ったモノをそうそう口に入れられる訳が無いだろう。
「言ったじゃない、私はキョン君に危害を与える事はできない、って」
 長門さんのお墨付きなんだけどな、と罪悪感を炙り出す顔で俯く朝倉。言っとくが、そんなんで俺は騙されんぞ。
「……じゃあ、毒味すればいい?」
 毒味? 誰が。
「彼女」
 教室後方の空いたドアから、手に購買のビニール袋を持ったハルヒが顔を出す。
 つかつかと歩み寄ると、見たことも無いような無表情を浮かべ、朝倉の弁当に視線を落とした。
「あ、ごめんなさい涼宮さん。今、退きますね」
「別にいいわよ」
 朝倉が席を立つより早く、ハルヒは近場の椅子を引き寄せて腰を下ろす。
 そして何を思ったか、俺の目の前の弁当からアスパラのベーコン巻きを取って、ひょいと口に入れた。
 咀嚼。嚥下。若干――本当に僅かに、俺にしか気付けないような、膨れっ面。
「ふぅん」
 ……以上、ハルヒの感想である。
「おいしい?」
「まあまあね」
 毒味云々などと話していた事など知る由もないハルヒは、買ってきたパンにかぶりつく。
「じゃあ私も、いただきます。キョン君もどうぞ」
 朝倉はにこやかに笑って、こぢんまりとした弁当をつつき始めた。
 ……もう、どうしろと。
 
「――さすがですね」
 古泉は珍しく弱々しいニヤケを作っている。
「僕にも感知できるほど、涼宮さんの精神状態が一気に悪化しました。ここ最近では一番の振れ幅でしたよ」
 お前が無定期バイトに出掛ける必要がある程か?
「そこまでではありません。すぐに安定しましたから。しかし、同様の揺さぶりを続けて仕掛けて来たら、そう遠くなく発生するかもしれませんね」
「……なぁ、長門よ」
 長門はゆっくりと本から顔を上げる。
「お前の親玉の意図は解らんが、こう……もうちょっと控えめにできないか?」
 じっと俺を見ていた長門は質問の意味を考察していたようだったが、しばらくして理解したのか、ふと視線を天井に動かした。
「受諾された……が、朝倉涼子が期待通りに動くかどうかは不明」
 どういうことだ?
「我々の要望は朝倉涼子の所属する派閥に大して決定的な強制力を持つに至らない。これ以上の行動の制限はほぼ不可能」
 何も解決してない気がするんだが。
「そうでもない。調整は可能」
 
 次の日。またも昼休み。俺の目の前には、やはり朝倉の弁当が鎮座していらした。が、状況が微妙に異なる。ハルヒも今日は弁当らしく、朝倉作弁当をしばし睨んだ後、何も言わずさっさと食べ始めた。
 しかしまた、随分とデカイ弁当箱だな。それ1人分か? 2段重ねのようだが。
「うるさいわね」
「はい、どうぞキョン君」
 ……あぁ、食べない訳にはいかないよなぁ。なんか谷口がイヤに暗い視線を投げ掛けてくるしさ。
 意を決して俺はジャガイモを頬張った。これがヘタに旨いもんだから困るんだ…………あれ?
 違和感はすぐに判った。同時に食べた朝倉も、困惑の表情を浮かべている。固まった俺と朝倉を見て、ハルヒが訝しげに眉を寄せた。そして昨日同様に、勝手に俺の朝倉弁当から芋を取ってパクつく。
「……何よこれ、ちょっと塩っ気が強すぎるんじゃない?」
「そ、そうかな?」 朝倉が焦っているのを初めて見たかもしれない。ふむ、調整ね。
「ふっふーん。ダメね涼子、何なら私が教えてあげなくもないわ。やっぱり和食は難しいものねぇ」
「あ、ありがとう涼宮さん……」
 超得意げなハルヒは、未だに戸惑っている朝倉の肩を叩いてそんな事を言う。なんつーわかりやすい性格であろうか。まあ、朝倉には可哀想な事をした気もするが、これはこれで良しとするか。と、一安心一安心などと考えていると、
「ね、キョン君」
 朝倉は困惑を隠せないまま、不安げに言うのだった。
「あの……ごめんね」
 ……良しと、する、か?

 朝倉涼子の誘惑5の1
 忘れもしない。あの夕暮れの教室。
 ゆらりと俺の顔を見上げた朝倉は、目を細めて柔らかく微笑んだ。
 柔和で、愚直に。
 声が出ない。躰も動かない。視線は、蛍光灯の光を反射する銀色に固定されている。
 何も出来ないまま、白銀の刀身が、滑るように素早く、真っ直ぐに振り下ろされ――――
「あ、キョン。まだもうちょっと待ってなさい」
 ハルヒが、制服にエプロン姿で鍋を覗いていた。
 俺から視線を外した朝倉はと言うと、千切りが実に上手い。台所に入った途端、目の前で包丁を持った朝倉がこっちをじっと見ていれば、そりゃ心臓含め内蔵ごと止まりそうになっても仕方ないと思うんだ。
 あれは立派なトラウマだぞ、トラウマ。一生モンだ。
 振り返れば、残りのSOS団の面々は手持ちぶさたな表情をして、各自適当に座っている。長門は珍しく本を伏せたままで、古泉は窓の外を眺め、朝比奈さんは――俺が見ているのに気付いて、小さく手を振ってくれた。
 気が休まる事この上ない。まったく、朝比奈さんの回復魔法は天下一品だな。
 
 ここに至る経緯は、正直言って上手く言語化できない。
 先日の弁当の一件は……なぜか料理対決に発展していた。初めは朝倉の家で食事会という流れだった筈だが、どうしてこうなったんだ? 俺が説明して貰いたいくらいである。
 川の字くらいは描けそうな広い台所に、ハルヒと朝倉の2人。朝比奈さんも初めは手伝う気だったようなのだが、
「尋常の勝負よ!」
 という団長――ならぬ、料理長の一声で、待機組となっていた。
 
 さて、もちろん俺だってこの事態に不安を感じなかった訳ではない。関係者間での事前協議を行ったさ。
「これまでの行動を見ていれば解ります。朝倉さんは容赦なく勝ちにきますよ」
 お馴染み古泉の解説タイムである。
「ですが、実はあまり脅威とはならないと、僕は思っているんです」
 どういうことだ?
「料理勝負、と言うからには、審査員が居る事になります。まあ間違いなく我々でしょう。考えてもみて下さい、その場合、最も悪い展開とはどういうものだと思いますか?」
 ハルヒが勝負に負ける事だろう。
「違いますね」
 口元を曲げる古泉。こういう笑い方は、俺に嫌がらせの一言を放つ予備動作だ。しかも、ガードポジションを取っても無駄というバランスの悪さ。
「あなたが、涼宮さんではなく朝倉さんを選ぶ事です。事の発端をお忘れですか?」
 忘れたいな。
「僕や長門さん、朝比奈さんは関係無いんですよ。明らかに朝倉さんの料理が上であったとしても、あなただけは適当な――個人的でも取って付けたような理由でも構いませんから、涼宮さんを選んでしまえば良い訳です」
 
 
 朝倉涼子の誘惑5の2
 様子を見に来た俺は、背後から2人の様子を伺っていた。
 ハルヒは、先ほどから鍋の中身にガンを飛ばしている。こいつは何をやらせても上手くこなすから、料理の方もそれなりの腕だ。過去に何度か口にした事があるが、美味いか不味いかと言われれば、美味い印象が残っている。
 朝倉は、こちらも鍋の火加減を見ているところである。まな板の上には肉やら野菜が見えるが、メインディッシュはそれであろうか。朝倉の料理は先日の弁当で体験済みだ。宇宙人のくせにダシの味を使うのが得意であるように感じる。
 しかし、一見して普通に料理している2人だが、俺は何か違和感をその光景に見出していた。
 並んで料理しているせいか、朝倉の方が若干、遠慮気味……なのか?
 不思議な感覚だが、なんとなくそういう印象だ。遠慮と言うより、単に緩慢にも見える。
 朝倉は振り向いて、
「どうしたの、キョン君」
 ハルヒに遅れること約2分、ようやく俺に反応した。
「……疲れてるのか?」
 俺が感じた事をそのまま口にすると、ハルヒの視線も朝倉を捉えた。
「ううん、そんなことないけど。どうして?」
 それならいいんだけどな。ハルヒも尋常の勝負なら、良コンディションの相手と闘りたいだろうしさ。まあ、彼女らにとって疲れるなんて事がそうそう有る筈も無いんだろうが。
「そうだ。キョン君もみんなも、ただ待ってるだけじゃ悪いね」
 朝倉はそう言うと、一旦作業を中断して食器棚からグラスを取り出し始めた。冷蔵庫を開け――飲み物を選んでいたのか僅かに固まって、ペットボトルのオレンジジュースを取り出す。
 トレイに並べられた6つのグラスにジュースが注がれ、1つはハルヒに、1つは朝倉自身に、4つは俺が居間に運ぶ事となった。
 とっくに飲み干したハルヒを横目に居間へ戻ると、朝比奈さんと古泉が何やら会話をし、長門がその様子を見ていた。
「ほいよ」
 グラスを3人の前に置く。朝比奈さんはにっこりと笑顔。
「ありがとうございます」
 喉が渇いていたのか、こくこくと飲み干してしまった。
「ふぅー」
 一息ついて、朝比奈さんは目を閉じた。美人はオレンジジュースを飲んでも絵になるものである。
 古泉はワインか何かと勘違いしているのか、グラスをくゆらせて、
「どうでしたか? 向こうの様子は」
 特に何も。
「そうですか。まあ、心配する事はありませんよ」
 それは心配などしても無駄だと言うことか。
 緊迫感の溢れる台所から戻ってきたせいか、そんな今更な事を考えていたせいか。腰を下ろすと頭やら胃やらが痛いような気がしてならない。
 病は気からとは良く言ったものだ。冷たいグラスを取ってオレンジ色の水面を揺らしたところで――その向こうに見える、長門の奇妙な表情が目に止まった。
 いや、奇妙と言ってもいつものポーカーフェイスだ。しかし、何か違和感。
「どうした?」
 今まで黙り込んでいた長門は、ゆらゆらと視線を上げる。
「トロイ」
 ……なんだって?
「トロイ型バックドア解放兼機能障害誘発ウイルスのオンマスク系カスタムバージョン」
 解るように説明してくれ。と言う俺にもその単語は聞き取れていた。ウイルス?
「この液体情報に混入している」
 
 
 ……。
 …………は?
 俺はともかく、朝比奈さんが固まっていた。
 
「既知の構造体では無く、かつ複合マスクが仕掛けられている。とても高級なコード。発見に手間取った」
 ……それがこの、ジュースに?
「そう」
 ひっく。
 可愛らしいしゃっくりを零して、朝比奈さんはじいっと長門を見ていたかと思うと、
「ふにゃぁ」
 空になったグラスを律儀にテーブルに置きつつ、くてんと床に倒れ込んだ。
「あ、朝比奈さん!? おい長門! 朝比奈さんが全部飲んじまったぞ!?」
 慌てて朝比奈さんの顔色を伺う俺の背中に、長門がいつもの調子で続ける。
「普通の人間には何の効果も無い」
 って無いのかよ!
 大振りのツッコミにも動じず長門は、
「情報生命体としての処理が成されて初めて効力を得るもの。私をピンポイントに狙っている」
 朝比奈さんはもちろん長門のセリフなど聞いておらず、気を失ったままだ。
 まったく、驚かせないでくれ……。
 
 
 朝倉涼子の誘惑5の3
 結局、朝比奈さんは寝かせたまま、俺は全員のグラスを揃えて台所へと引き返した。俺の姿と、結局あんな事を言われては飲める筈もないオレンジ色の液体に気付いて、朝倉は手を休めて歩いてくる。
 2つの部屋を繋ぐ短い廊下。ここはどちらの部屋からも死角だ。橙色の電球が床を照らしている。
 朝倉は小声で、
「飲まないの?」
 飲めるか。
「ふう、やっぱり突発的な空白を見せたのは良くなかったかな」
「……何を企んでる?」
 朝倉はその質問から目を逸らして、俺の手からトレイを奪う。そしてジュースの残ったグラスを口に運んだ。
 待て。それ平気なのか?
「ねえ、キョン君。お願いがあるの」
 俺の動揺を余所に、朝倉は――やはりどこか奇妙な笑み。
長門さんに、今度みんなでどこかに遊びに行きましょうって、伝えてくれないかな?」
 長門に?
「そうだ。明日は日曜日だし、早速どこか行きたいかな」
 長門に、か。
 ――ああ、なるほどな。さっきから目の前に浮かんでる違和感の正体がようやく判ったぜ。
「……何なの?」
「かなり疲れてるようじゃないか。長門の相手はやっぱり厳しいのか?」
 朝倉は笑顔を崩さず、しかし息を吐いて、
「仕方がないわ。今の私は本当にバックアップ程度の能力しか無いんだもの。処理1つ取ってもスピードが雲泥の差だし、直接物理情報修正も制限されてて難しいの。……今日は介入の存在が明瞭だからね、何とか誤魔化しながらやってる」
 思い出せば、長門に頼んだ事は今も継続中だ。あいつは、あれからずっと裏で"調整"をし続けているんだろう。
 そしてこのジュースは、朝倉にとって局面を打開する為の一手であったわけだ。
「まあ、別に構わないんだけどね。急いでるわけじゃないし」
 肩を竦めて、朝倉はきびすを返す。
 俺はハルヒに笑いかけるその横顔を見て、居間へ取って返した。
 
 長門は、本を読んでいなかった。そういうことか。
「ちょっといいか、長門
 立ったまま呼びかけると、僅かに硬度が下がった瞳が俺へと向けられる。
 調整はもうしなくていい。
 そう言おうとして、はたと俺は固まった。
 元はと言えば、これは朝倉が面倒な事を起こそうとしているのを防いだ後遺症のようなものだ。SOS団の、ひいては俺の安寧を優先するなら、このままにしておいても良いはずで、わざわざ解除する理由はどこにも無い。朝倉だって、効果が無いと解れば自ら引くさ。
「――やめてやれ」
 結局、言った。何故かって? 俺が知るか。
「そう」
 長門は短い返答を呟いて、ずっと膝の上に置いてあった本を開いた。
 
「さぁ、できたわよー!」
 鉄人だってもう少し謙遜するだろうというくらい自信満々のハルヒが、ウエイトレスよろしく両手に白い皿を抱えている。
 各審査員は既にスタンバイしており、朝比奈さんもようやく起き上がっていた。長門が本を閉じるのと同時に、ハルヒの料理から並べられる。これは豚肉か?
「そう。紅茶煮よ」
 紅茶ぁ?
「家で一晩漬けてきたから。味染みてるし、柔らかいわよ」
 ハルヒの奴は何やら凝ったものを用意していた。僅かに赤く染まった豚肉に付け添えの野菜が彩りを加え、丸く周囲にソースが掛けられている。旨そうだし、見た目にも華やかだ。完璧主義と言うか、カッコつけと言うか……どこぞのレストランででも出てきそうである。
 そして、続けて出てきたのは朝倉の皿である。これは見たまま、深皿に盛り付けられた肉じゃがである。例の塩分増量事件の時、被害に遭ったのがこのメニューであった。リベンジを果たすという事なのだろうか。
 朝倉は、
「代わり映えしないんだけど」
 と笑って、各人の前に湯気を立てる皿を並べた。
 そしてここに、すべての準備が整ったのである。
「えー、では早速試食と参りましょう。冷めてしまっては折角の力作が台無しですからね」
 ……なぜか古泉が仕切っていた。
「いけませんか?」
 いいや、お似合いだ。将来はマルチタレントにでもなるがいいさ。
「では。みなさん、いただきましょう」
 学校の先生のような古泉の合図で、各々が思いのままに箸を伸ばす。
 俺は朝比奈さんと同じように手を合わせて、まずハルヒの料理に手を付けた。
 
 
 朝倉涼子の誘惑5の4
 結論。双方実に旨かった。
 少なくとも、普通に食事として出てきて不満を言うレベルでは無い。だがこれは勝負であり俺は審査員である。個人的でも取って付けたようでも構わないから、何か理由を付けて評価する義務がある。
 常々、料理評論家は羨ましい職業だと思っていたが、その認識を改めるべきかもしれないな。
「お手元の札のうち、美味しいと感じた方を挙げていただきます」
 <涼宮><朝倉>と書かれた札が、いつの間にか用意されていた。相変わらずネタに労力を惜しまない奴である。
 他の審査員はと言うと、朝比奈さんは目をつむって考え中。真っ先に食い終わっていた長門は、2つの皿を見つめている。
 俺は箸を置いて、ハルヒと朝倉の様子を伺った。ハルヒは腕を組み、普段通りの自信で大きな瞳を輝かせている。
 対する朝倉は、笑顔。不思議な、どこか落ち着かない笑顔。
 ――ああ。なんだろうな、この感覚。俺は以前にもこれと似たような表情を見たことがある。それは笑顔では無かったが、まさしく同じものだ。
「では、どうぞ!」
 古泉の芝居がかった掛け声まで、どれくらい時間があったのか。俺は確信を持って左手の札を上げた。
 
 ハルヒが真っ先に帰り、後片付けを手伝っていた朝比奈さんも、それが終わるといそいそと朝倉の部屋を後にした。古泉も既に居ないところを見ると、ハルヒの様子でも伺いに行ったのだろう。ご苦労な事だ。
キョン君」
 靴を履いていたところへ、朝倉が小走りにやってくる。
「いいの?」
 ……何がだ?
長門さんのこと」
 別に感謝されるような事はしてないさ。融通の利かない奴だからな。
「それと涼宮さんのこと」
 理由は言った通りだ。それに、そんなに気を遣う必要なんてないぞ。
「そう」
 朝倉は普段の笑顔を崩さない。しばしの無言に溜息をひとつ吐いて、俺はカバンを取った。スチールの扉を開ける。
「じゃあな」
「あ、待って」
 振り向いた時、一瞬あの夕焼けの教室が脳裏を過ぎった。朝倉の白い手が顔に添えられ、俺は逃げようとしたが狭い足場に身動きがとれなかった。
 朝倉の唇が頬に当たる。
 まるで身体情報の改変でも行われたかのように、俺は動けなかった。
 髪の毛の匂いを残して、ふわりと朝倉が離れる。
「お礼」
 固まったままの俺に、朝倉がそう言った。
「ありがとう」
 
 宇宙人マンションから出たところで、暗がりから古泉が現れた。
 ハルヒに着いていった訳じゃなかったんだな。
「いえ、見失いまして。距離を置いていたのが不味かったようです」
 まあ、ハルヒも対決には勝ったんだ、機嫌も悪くなかったみたいだがな。
「そうだと良いのですが」
 わざとらしく肩を竦め、盛大に溜息をついて見せる古泉。こいつが本気になったら1日のうち20時間は不機嫌で居られる自信があるぜ。
 そんな俺を見て、古泉は僅かに真面目な表情を見せた。
「……いいのですか? そんなに簡単に籠絡されて」
「なんだそれは。言っただろう、最近どうも胃の調子が悪くてな、和食偏重なのさ」
 それに、朝倉が一生懸命だったのを知っていたのは、俺と長門だけだったからな。どちらかが評価してやらないと可哀想だろう。
「まあいいでしょう」
 取って付けたような理由を聞いて、しばらく目を合わせていた古泉だが、携帯電話を取り出して光るディスプレイに目を落とした。
「でも、殺されそうになった相手に可哀想なんて人が良すぎますよ。あまり涼宮さんを怒らせないようにお願いします」
 古泉は軽く会釈をして、現れた時と同じく、暗がりに消えた。
 アルバイトだろうか。でもな、それが俺の責任だってのはちょっと酷い話じゃないか。
 
 あの一言。
 ありがとう、と言った直後の、見たことが無い笑顔。
 それは俺に、朝倉が長門と同じような存在だとついに理解させた。長門がいつも無表情でいるのと同様に、朝倉はいつも笑顔だ。ヒューマノイドインターフェイスとやらの間で何故こんなに差があるのかと思っていたが……事は簡単。
 差なんて無い。朝倉は朝倉の表現できる範囲内から、外へ大きく踏み出す事は出来ないのだ。
 そして、俺には経験上、その僅かに踏み出したつま先を見ることができる場合がある。
 それが良いことなのか悪いことなのか……。今はまだ判らないが、少なくとも、あの掴み所のない性格を理解する切っ掛けにはなるのかもしれないな。
キョン君」
 マンションを見上げる。朝倉がベランダから手を振っていた。
 俺はそれに軽く手を振り返す。
 ただ、5階の朝倉がどんな笑顔でいるのか、さすがにそれを見て取る事はできそうになかった。

 誘惑番外編 朝倉リョウコの冒険 Episode00
 まだ肌寒い2月後半のある日。
 朝倉リョウコは、まるでソリに乗り忘れたサンタのような笑みを浮かべ、アーケードを歩いていた。
 相変わらずの展開だが、一応説明しておこう。
 朝倉リョウコは、宇宙人である。表向きはとある高校、とあるクラスの委員長。果たしてその実態は、魔法使いで生粋の宇宙人。
 さすが宇宙人と言うべきか、彼女はもう2月だと言うのにサンタのコスチュームを身にまとい、しかして柔らかな微笑を浮かべるのを忘れない。
 しかも、どこぞの未来人とは違ってアルバイトをしている訳では無いのである。宇宙人は思いのままに金銭を作り出す事ができるからだ。となると彼女は普段着からしてサンタと言う事になる。まあ、そういうものだと思っていただきたい。
 
 さて、宇宙人である彼女は、ある目的を持って地球に居る。
 それはこの俺――もとい、一介の高校生、かつリョウコの同級生、通称きょんを守る事である。
 ちなみに、話のプロットが同じだ、と考えるのは早急だ。きょんは特に能力を持ってはいないのだ。
 では朝倉リョウコは何故きょんを守るのか? それは伏線である。間違っても考えるのが面倒になったなどという事は無い。ともかく彼女は彼を守る為、今日もストーカーまがいの行動を取るのであった。
 
 その日。きょんが妹に首輪を付け散歩していると、その前を黒い影が遮った。
 唐突に現れたのは、こちらも宇宙人の長門ユキ。全宇宙を震撼させる極悪魔法使いである。全米が泣くどころではない。しかもその背中には抱き付くようにして、いたいけな少女が半分乗っかっていた。
 流行りの擬人化だそうだ。実態は猫。もはや訳が解らない。
「誰だ?」
 ……我ながら棒読み。古泉はよくこれを演れたと今更ながら感心する。
「悪いがあなたには死んでもらう」
 この唐突さ、どこかで見たような展開だな。
 ユキは背中の妹――いや少女をものともせず、スターリンインフェルノレボリューションを掲げ、まんじりとした挙動でそれをクルリと回した。
「危ないっ!」
「うおっ!?」
 おもむろに突き飛ばされ、それをまったく予測していなかった俺は、盛大にすっ転んだ。
「大丈夫? きょん君」
 まるで転ぶのを予測していたようにリョウコが優しく声を掛ける。と言うかこんなの台本に無かったぞ。
 ……そう。今回はなんと台本がある。しかし、朝倉の背後で何かを納得したように頷いている超監督の挙動を見るに、有って無いようなモノだと思うべきだろう。
「あなたはユキさんじゃない。どうしてこんな事を?」
「その人間は今はまだ普通の人間だが、やがて世界の命運を握る存在となる。だから今のうちに倒すのだ」
「やめてユキさん。あなたは私の部下だったじゃないの」
「問答無用」
 スターリンインフェルノレボリューションの先から光線が発射される。
「あぶなーい!」
 きょんを庇うように射線へ身を投げ出すリョウコ。
「きゃぁー!」
 しかし、朝倉は普通に演技をしているな。偉いもんだ。
 それはともかく、リョウコはユキの必殺光線を浴びて、何事も無かったかのように2人の間に立ち塞がった。もうちょっと痛がるフリとかした方が良いのではないか。
「待って下さい」
 なんと、ここに来て新キャラ登場である。彼女は喜緑エミリ。またかという感じではあるが、やはり宇宙人である。登場人物が宇宙人で魔法使いばかりなのだが、どうも未来人より設定上使い易いらしい。
「あなたたちは何をしているのです? 同じ宇宙人で」
「エミリさん」
 リョウコが微笑を湛えてエミリを見ている。
「多勢に無勢。今日のところは引いておく。しかし覚えておくのだ、私はいつかまた帰ってくるであろう」
 ユキはそう言い残して、少女を引き摺りながら、すぐそこの路地へと去っていった。
 
 取り残された3人は、無言のまま道路の真ん中でユキの去った路地を見つめている。
 しばらくの間、穏やかな風の音だけが流れていた。
「…………ああ、えーと、あなたはリョウコさん。その人はお友達ですか?」
 と言うかここは俺のセリフだ。超監督の視線が後頭部に当たってるのを冗談抜きで感じる。あのな、台本渡されたの5分前だぞ、無理言うな。
「いえ気にしないで。あとこの人は知らない人です。じゃあね」
 笑顔でペコリと頭を下げて、リョウコはさくさくと立ち去った。そこの路地に。
「それでは」
 エミリもそれだけ言うと、やはり路地に去っていった。なんなんだその路地は。宇宙人の秘密基地でもあるのか?
 そして、ひとり残された俺、ではなくきょんは、暗い路地に語りかけるように呟くのだった。
「なんということだ」
 まったくだ。

 ※注:事前にキャストが決まっていました。
朝倉リョウコ(宇宙から来た戦う委員長):朝倉涼子
きょん(ある意味、超能力者):キョン
長門ユキ(悪い宇宙人):長門有希
喜緑さん:喜緑江美里  
少年A:谷口
少年B:国木田
きょんの妹:シャミセン
猫:キョン妹(新人)
超監督涼宮ハルヒ 
演出:古泉一樹
脚本:古泉一樹
その他雑用:朝比奈みくる
 
提供:鶴屋家
制作:ZOZ団
 
 誘惑番外編 朝倉リョウコの冒険 Episode00 メイキング
「はいカット!!」
 ハルヒがそう叫ぶと同時に、俺は大きく肩を落とした。なるほど、キャストが発表された時の古泉の喜びようも理解できる。カメラに撮られる側はまた一段と疲労が激しい。
「なかなかいいじゃないの。さすがに一度やった事があると違うわね」
 今日出演した中で、前回も出ていたのは長門だけだろうが。
「お疲れ様です。はい、お茶」
 カメラマンをしていた朝比奈さんの手には、ポットで持ってきてくれたという暖かいお茶。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
 喉に通すと、冷えていた体がじわりと温まる。いやはや、生き返ったようだね。
 朝比奈さんは戻ってきた長門と朝倉、喜緑さんにも紙コップでお茶を渡して回っている。早速シャミセンとじゃれている少女こと俺の妹の為にお茶をふーふーと冷ましている様子は、問答無用に癒されるな。
「どうですか、主演は」
 ああ、こういう時にそのニヤケ顔、心身共に一段と疲労するぞ。せっかく癒されていたところなのに。
「手厳しいですね」
 古泉は肩を竦め、俺の癒し値が5ポイント下がった。
 あのな、手厳しくもなるってもんだ。なんなんだあの台本は。脚本はお前が考えたんだろう。前回ハルヒが考えたのとまるで変わってないぞ。
「それがですね、脚本は先日提出したのですが、今日になったら9割5分ほど変わっていたのですよ」
 ……なるほど。確かにこいつが考えそうな当たり障りもない脚本に、あの超監督が納得する筈もない、か。
「ところで残りの5%はなんだ」
「妹さんが猫の役のところです」
「…………」
 
 戻ってきた長門、朝倉、喜緑さんの宇宙人3人組は、無表情、笑顔、微笑、と各自それらしい表情を浮かべ、ハルヒの賛辞を浴びていた。
 確かに、朝倉だけはまともな演技に近かった。長門はあの調子だし、喜緑さんはそもそも出番が一瞬だ。
 それにしても……こうして見ると、普通の人間の少なさに唖然とするな。今更だが。
「はいはい、みんな聞いて」
 ハルヒのやつが手を叩いて、視線を集める。
「久しぶりの撮影だったけど、まあまあ良かったわ。だけどね、これくらいで納得しちゃダメよ。いずれは香港とハリウッドと太秦を制圧して、SOS団の名を世界に轟かせるんだからね!」
「それは楽しみですね」
 煽るな古泉。お前今日は何もしてないだろうが。
「今日は特に涼子が良かったわ。一応忠告しておくけど、街でスカウトされても着いてっちゃダメだからね。あんたウチの専属女優なんだから」
「それは無いと思うけど」
 朝倉も苦笑するのがやっとである。と言うか、こんな道端でサンタの格好したまま余裕でいるのはどうかと思うぞ。もう少し恥じらっとけ。
「そういうもの?」
「そういうものだ」
「そういうものね」
 何に納得したのか、朝倉はオウム返し返しに言葉を並べ、僅かに俯くとサンタの短いスカートを手で押さえた。確かに似合ってはいるが、この時期に街中でサンタの格好をしている奴をスカウトする物好きはそうそう居ないだろう。そんなのはハルヒくらいのものだ。
「ま、何もかもあたしに任せておけばいいのよ。悪いようにはしないわ。とりあえず今日のところはここまでだけど、みんなちゃんと練習とかするのよ」
 ……なあ、さっきから気になってるんだが。
「なによ」
 撮影はこれで終わりなのか? まだ導入しか撮ってないが。
「そうよ。今日は、ここまで」
 ハルヒは、一体何が偉いのか、胸を張って言い切った。
「今日の分は第一話。来週は第二話の撮影があるから、役者は練習、古泉くんは脚本、みくるちゃんは衣装の用意、お願いね!」
「続くのかよ!」
 
 
 
「……なあ、キョン、朝倉さん」
 谷口じゃないか。それに国木田も。どうしたんだ。
「俺らの出番はいつなんだ? もう随分待ってるぞ」
「あら、谷口君と国木田君、台本に名前無かったわよ?」
「は? だってエキストラが欲しいって……」
「そうなの? 涼宮さんに言ってきた方がいい?」
「い、いや! 遠慮しまっす!」
 谷口が全力で否定するのを見て、俺は朝倉と目を合わせた。苦笑して肩を竦める朝倉は、サンタの格好の割にどこか楽しそうに見えなくもない。
 やれやれ。相変わらず何を考えてるのか良く解らんやつだ。

 
その2に続く