涼宮ハルヒの憂鬱番外編 朝倉涼子の誘惑シリーズ その2

朝倉涼子の誘惑6
「さあ、どれが良いか選んで。ただし審査員は2人しかいないからキョンと古泉君で話し合って、これという1つに搾ってちょうだい」
 ハルヒが並んだ4人を示す。目移り――いや、目に痛い色彩と言うべきか。
「あ、自分の感想じゃなくて、一般的な感覚ではどれだと思うか、ね」
 どの辺りの一般だ、それは。
 
 ……さて、今俺が何をしているのかという事については、どちらかと言うと俺が説明して欲しいくらいなのだが、天の声が自動的にナレーションしてくれる訳も無いので、なんとか現状の把握に努めたいと思う。
 放課後の部室。俺の隣には、お馴染み古泉のニヤケ顔がある。
 そしてテーブルの向こう、窓際にはSOS団の女子4人が立っていた。
 左から、メイドの涼宮ハルヒ
 バニーガールの朝比奈みくる
 ナースの長門有希
 サンタの朝倉涼子
 感想だって? そうだな、タチの悪いキャバクラか何かだ。ぼったくられる前に逃げ出したい。
「いやぁ、こう見ると壮観ですね。みなさんよくお似合いです」
 歯どころか歯茎ごと浮くような言葉を吐き、古泉は俺に耳打ちをする。
「わかっていますよね」
 何をだ。
「あの後、実は深夜に出掛ける羽目になりましてね。久しぶりに寝不足になりましたよ」
 それはご苦労な事だな。
「まったくです」
 古泉の言っているのは、先日の料理対決の事である。あの時は大した反応が無かったから安心してはいたんだが、どうもそう簡単な話では無かった――いや、ひょっとして今のは古泉流の牽制球か?
 まあ、ここは深く考える意味もあまり無い。多分また、何かのイベントにでも使う気なんだろ。
「決まった?」
「そうだな、やっぱりメイドじゃないか。一般的な嗜好に合ってるだろうし」
 君子危うきに近寄らずだ。俺は君子でも聖人でも無い一高校生だがな。
「ふーん、やっぱりメイド萌えは強いのね」
 解ったような威張り顔で頷くハルヒ。その言動がちっともメイドらしくないんだよと言いたい。
「じゃあ2番目は?」
 2番目?
「そう。キョンの主観でいいわよ」
 ハルヒが実に打ち返し難いビーンボールを投げてきた。主観で良いと来やがったか。しかしそう簡単な問題じゃないぞ、これは。
 ここで選んだ衣装を使って何かをやらかそうとしているのなら、無難な選択をすべきだ。もしバニーガールなぞ選ぼうものなら、朝比奈さんのトラウマを広げてしまうかもしれない。
 ナースも、これでもしビラ配りとなると違和感のるつぼである。今は朝比奈さんサイズのものを長門が着ているから、かなり余り気味なのだが。
 となると、
「サンタかな」
 クリスマスシーズンともなれば街中に出没したりするしな、と考えながらそう発言して、それを着ているのが朝倉である事に後から気付いた。
 しかしハルヒは、
「サンタね……。シーズンものだけど、逆にそれがいいかしら」
 何やら考え事をしていた。
 ほっと胸を撫で下ろす。それにしても、何でこんなに気を使わなきゃならんのかね。
「涼宮さんだからですよ」
 小声で古泉が呟いた。山があるから登るんだ、と言わんばかりである。
 
 しばらくして、メイド服ハルヒは無言のまま部室を後にした。一体何を企んでいるのかは知らんが、周辺被害が極力少なくなるよう心から祈りたい。
 残された団員は着替える訳にもいかず、コスプレのまま普段の光景に戻っていた。ナース長門は本を読み、バニー朝比奈さんはお茶を入れ、俺と古泉とサンタ朝倉でボードゲームを囲む。
「こんなの着たの初めて」
 朝倉が苦笑する。そりゃそうだろう、サンタ衣装は普通、子持ちのオヤジが着る物だ。
「これは、クリスマスの時に?」
 朝比奈さんがな。
「ふーん。だからね」
 朝倉は胸元の布地を引っ張って、何かを納得している様子。
 俺はルーレットを回して、自分のコマを進めた。"事故に巻き込まれた!9つ戻って5000円払う"。
「おやおや」
 嬉しそうな古泉は、失業して依然最下位を独走中である。笑ってる場合かお前。
 
 微風に押されたようにゆっくりと開いたドアは部屋の主たるハルヒを迎え入れると、元々傾いている冷蔵庫の戸のようにゆっくりと閉まった。
 聞き覚えのある足音に溜息の準備をしていた俺は、少々拍子抜けの気分だ。パソコンの前に座ると、肘をついてディスプレイを眺めている。
 ずっと考え事をしているらしいハルヒは、傍目から見ればまるで海底プレートに寄り切られる寸前の大陸棚だ。いつ跳ね返ってもおかしくない。
「なに考えてるのかしら」
 トップ独走中の大富豪、朝倉が小声でそんな事を聞いてきた。ハルヒの企みなど知らないし知りたくも無いな。
「でも、心の準備くらいはしておいた方がいいんじゃない?」
 そんな靴の裏で雷を防ぐような無謀で疲労するのは御免だ。
「ねえ、キョン君」
 朝倉はさらに声を潜め、俺の耳元に囁いた。
「この後、涼宮さんが何をするか予想してみて」
 予想? 無駄だ無駄。あいつの行動が予測できるようなら俺はここまで苦労してない。
「なんでもいいから。ね?」
 何でも良いと言われてもな……。
 ふと顔を上げると、本から視線を外してこちらを見ている長門と目が合った。長門はしばらく俺の方を見ていたが、そのまま朝倉、ハルヒと視線を動かした挙げ句、自らの読書世界へと帰っていった。
 何が言いたいのやら。
 長門の奇妙な動作に気付いたのは俺だけではなかったようで、朝倉は珍しく微妙な笑みを見せていたかと思うと、俺を見て肩を竦めた。
「やっぱりいいわ。何をするのか判らないのが涼宮さんの魅力だもんね」
 何だその取って付けたような理解は。
 
 視線で会話をしている宇宙人2人に呆れつつも、朝倉に続いて何とか2位で人生を終えた俺は、勝負の後の朝比奈茶に舌鼓を打っていた。朝比奈さんも交えての感想戦は、やはり勝敗はルーレット運に掛かっているだろう、などと夢も希望も無い考察に定まりつつある。
「よし」
 ハルヒが言った。ぴくりと震えて朝比奈さんが固まった。
「出来たわ」
「何がだ」
 一応聞いてやった。そうしないと終わらないからな。
「脚本よ」
 朝倉を除く一同、絶句。のち、朝比奈さんの顔色がダークブルーへ。
「主役は――」
 ビシッと指を指した先には、未だサンタ姿の朝倉。
「あなたよ涼子! 改造人間にされかかって逃げてきた正義の宇宙人役!」
 ……瞬間、朝比奈さんが安堵の涙を目に浮かべたのは、俺だけの秘密にしておこう。その後、前作の古泉役が俺になって、思わず涙を零しそうになったとしてもだ。
 
 帰るまでには更に幾つかの騒動があって、結局部室を出たのは時計の針が6時を回ろうかという頃であった。
 電灯の明かりも疎らな帰り道。いつの間にか2列3行の隊列にも慣れた調子で、SOS団は坂道を下って行く。
「続編なのね」
 朝倉は知らないんだったな。あの悪夢のような映画を。
「そんなに酷かったの?」
 酷いと言うか……ま、寒い出来ではあった。
 前を見ると、監督ハルヒと脚本古泉が制作会議を開いていた。一方こちらは役者会議というわけだ。
 話す事など特に無いが。
「まあ、よろしくな」
 俺は手を差し出した。被害者同士の連帯感とでも言うべきか。……しかし、これに対する朝倉の反応に、逆に俺が驚いてしまった。
 珍しくその表情から微笑を消して、朝倉は無感動な顔で俺の手を見つめていた。
「朝倉?」
「え?」
 はっとする、という形容がぴったりな様子で朝倉は僅かに震え、しかし何事も無かったかのように笑った。まるで、固まっていた顔の筋肉が反動で緩みすぎたかのように、とても良い笑顔で。
「ええ、よろしく」
 握った朝倉の手のひらは、街路灯のように冷たかった。

朝倉涼子の誘惑7
「なあ、キョン
 プリンくらいなら真っ二つにできそうな鋭い眼差しで、そいつは言った。
「俺もSOS団に入れてくれ!」
「たぶんダメだと思うな」
「どうせ俺なんか!」
 横から飛んできた朝倉の一閃を食らい、谷口は泣きながら走っていった。
 確かに、ハルヒにお伺いを立てたら税込み105%くらい却下だとは思うが、もうちょっとオブラートに包んだ言い方をだな。
「だって、SOS団は涼宮さんの勧誘でしか入れないんでしょう?」
 言われて気付いた。そう言われてみればそうだ。勧誘では無く拉致だとは思うが。
 と、そこで俺は前々から疑問だった事を訊いてみる事にした。
「ところで、朝倉はなんでハルヒに掴まったんだ? しかも転入前日に」
 ――朝倉の言うところによると、転入手続きで学校に訪れた際にバッタリ会った、もとい遭ってしまったらしい。
 それにしても、転入手続き? ちょちょいと何か細工をするだけでいいんじゃないのか?
「それ、今はできないの」
 なるほど。料理対決の時にそんな事を言っていたような気もするな。
「先生と、1年もあと少しだけどまた委員長に戻ったらどうか、なんて事を話してたのね。それを聞いてたみたい」
 しかし、委員長だなんてハルヒにしちゃ安直だ。ネタに飢えてたのもあるんだろうが。
「委員長と転校生と帰国子女とバイリンガルと眉毛で数え役満なんだって。……眉毛、変かな?」
 別にそんな事は無いと思うが。
「そう?」
 朝倉は眉毛を撫でながら苦笑する。
 
「おはよ、涼子。キョンと何喋ってたの?」
 噂をすれば何とやら、普段より若干遅れて我等が団長様の御出座しだ。
「おはよう涼宮さん。ちょっと麻雀の話をね」
「マージャン? 涼子やるの?」
「やらないけど、ルールはちょっと解るかな」
「ふーん。ま、いずれ機会があったらやりましょ! ……うちにマージャン部ってあったかしら……」
 何を企んでるかは容易に想像が付くが、喜ばしい事に北高には麻雀部は存在しないのである。尤も、麻雀牌はそこらに転がってそうだが。大体それ以前に、ハルヒは役を覚えたのかね? 地味な役を知らなそうだよな、ピンフとか。
「……何ニヤけてんのよバカキョン。言いたい事があるならハッキリ言いなさいよねっ」
 ニヤけてない。バカ呼ばわりすんな。特に言いたい事は無い。
「ふんっ」
 肩を怒らせてハルヒがそっぽを向く。
 それを見て、朝倉がくすくすと笑っていた。ハルヒは口を明後日の方角に曲げて唸る。
「あのね涼子、そんなんじゃダメなの。全然ダメ」
「え、私?」突然矛先が向いて朝倉は目を丸くした。
「涼子は委員長じゃない。だったらもうちょっとビシっと言わないとビシっと。そうじゃないとツンデレにならないでしょ」
 ツンデレってな、お前ちゃんと意味解って使ってるか?
「ビシっと……誰に何を言うの?」
「コイツに決まってるじゃない」
 ハルヒの指先が俺の鼻の頭を指す。ていうかバカの次はコイツ呼ばわりである。
「もっといろいろ注意しないとダメよ。宿題忘れるなとか、喧嘩するなとか、二段飛びで階段昇るなとか、
 栄養を考えた食事をしろとか、もっと本を読めとか、もちろんそれはマンガじゃ駄目とか、教科書に落書きするなとか、消しゴム飛ばして遊ぶなとか、エッチなことはいけないとか、とにかくそーゆーよーなコトよ!」
 一気にまくしたてたハルヒは、大きく深呼吸をした。
 俺と共に無言の朝倉。今の長台詞の意味を咀嚼しているのだろうか。
 すると、朝倉が俺の方を向いて、両手を背後に組んで、少し首を傾げて、ニコリと笑ってこう言った。
「エッチなのはいけないと思うな♪」
 
 …………。
 各陣営、無反応のまま5秒が経過した。最初に反応したのは、
「ちっくしょう!」
 谷口が泣きながら走り去った。あれは奴の特技か何かか? ていうかいつからそこに居た?
「え、なに、キョンあんた涼子に何かしたの」
 ジト目で睨むハルヒ
「いや今のお前が言わせたんだろうが!」
「そーいえば前科があったわよねぇ?」
「ねーよアレは事故だ!」
「白状しなさい!」
 襟首を締め上げられて霞む視界の中、朝倉は騒ぐ俺とハルヒを見て楽しげに笑っているのだった。
 ――つーか笑ってないで喧嘩をするなとか注意でも何でもしてくれ。委員長なんだから。

 
その3に続く