番外編 喜緑江美里シリーズ2

喜緑江美里の階段
 俺の偏見かもしれないが、少し奇妙なこの学校にも面白くない校長の長話というのはやはり存在する。月曜の朝、ゾンビのような目をしている生徒達の前で様々な怨念をぶつけられながら話す校長は、マゾなのかサドなのか、やけに溌剌とした口調で年度末の心掛けを滔々と弁じてのけている。真面目な話に対し一斉に欠伸をされても動じないというのは、さすが校長、大物でなければならないらしい。
 という風にどうでもいいことを考えているのは、俺も例に漏れず暇を持て余しているからである。ちなみに、すぐそこで腕組みをしているハルヒは、器用な事に立ったままで寝ていた。
 ようやく朝礼が終わりを告げると全校生徒がぞろぞろと昇降口へ戻っていく。クラスの連中もバラバラになり、俺はゆっくり靴を履き替えて混雑を避ける事にした。
「あら」
 ちょうど階段を上ろうとした時、上から降りてきたのは、
「お久しぶりです」
 紙の束を抱えた喜緑さんである。
 俺は気持ちばかり会釈をすると、右に避けた。
「あら」
 喜緑さんも同じ方向に避ける。
 俺は咄嗟に左に避けた。
「あらあら」
 喜緑さんもやはり同じ方向に避けて、
「何やら気が合いますね」
 なんでそうなるんですか。
「今の現象が起きるのは4分の1ですよ。全世界で25%以内には気が合っていると思うのですが」
 そんな無茶な。
 呆れていると、俺の顔を見た喜緑さんは、
「うふふ、そうですわね」
 では失礼、とペコリ頭を下げて、俺の横を通り過ぎていく。これは何らかの意味がある接触だったのだろうか、と疑心暗鬼気味な俺がひとまず喜緑さんを呼び止めると、彼女はウェーブのかかった髪を揺らして振り返った。
 ええと、それ手伝った方がいいんですかね?
「いいえ、お気遣いありがとうございます。変に意識させてしまって御免なさいね」
 笑って喜緑さんは階段を下りていった。
 
 放課後。俺は、今朝の話があれで終わりだと思っていた。
 だが、部室に行こうと階段を下りていた時に、下から上ってきたウェーブの髪を見て、俺の中に言い様のない嫌な予感が沸き上がった。
「あら、お久しぶりです」
 今朝会ったばかりですがね。
 ――当然、紙の束を抱えた喜緑さんである。
 俺は気持ちばかり会釈をすると、左に避けた。
「あら」
 喜緑さんも同じ方向に避ける。
 俺は咄嗟に右に避けるフリをしてその場に立ち止まった。
「あらあら」
 喜緑さんもやはり同じように立ち止まって、
「私たち気が合いますね」
 なんでそうなるんですか。
「今の現象が起きるのは4分の1ですよ。今朝の分も合わせると16分の1。全世界で6.25%以内には気が合っている筈ですよね」
 ワザと合わせておいて、そういう事を言わんで下さい。
 呆れて言うと、喜緑さんは俺の顔を見上げて、
「いえ、私は何もしていないんですよ」
 ……なんだって?
「ふふ」
 目を見張った俺の顔が面白かったのか、喜緑さんは小さく肩を揺らす。
「もちろん、貴方に何かをさせた、という訳でもありません。……よく考えて下さい、6.25%というのはそれほど起こり難いでしょうか? これは100回あれば6回は起こる出来事だと言う事です」
 そりゃそうだ。だが俺が危惧するのはそんなところじゃなく、
「相手が私だった、という事でしょうか? そうですね、確かにそれは考慮すべき要因です。つまり、偶然、必然、確率、統計、それら運命とか宿命とか幸運とか不幸とか、そういった類の言葉で言い表されるすべての出来事――イベントは、起こる起こらないが因果の元となる訳ではなく、結局は自らの心持ち一つだ、という事です」
 はぁ。
 ……いや、それ以外にどんな反応を示せと言うんだろうか?
「その反応で正しいですわ」
 喜緑さんはにこやかに笑って、
「ちょっとお話したかっただけですから」
 そう言って、階段を上っていった。
 
 ……もしかして俺は何らかの憂さ晴らしにでも使われているのだろうか?