涼宮ハルヒの憂鬱 #14 涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ その2

 原作は「憂鬱」単体と以降のシリーズを含めた展開は別物なのだが、放映順だとハルヒの成長とキョンの理解まで含めてしまっていて、結構キレイにまとまっている。「サムデイ イン ザ レイン」ですらハルヒの話になる。
 ところがDVDでの時系列順になると、憂鬱が速攻で終わり、キョンハルヒの関係が早めに確定する。その後のまったりとした2人の脇で、長門のストーリーが進行する事になる。こちらでは「射手座の日」に続く「サムデイ イン ザ レイン」は長門の話になる。
 まさに一粒で二度美味しい。
 さてキョン妹に萌えた人も多いかと思う今回の話。しかし何と、原作に忠実に作られてきた憂鬱Ⅰ〜Ⅵの中では珍しく、妹の出てくるシーンは全てアニメでの新規カットです。
 これはどういう演出意図だ? 最初のシーンは歯磨き、次のシーンはハサミを借りに来る。要は日常の象徴という事なのだろうか。キョンという人物は、視聴者の代弁者にしては異常に謎の多いキャラクターで、その日常に食い込んでいるキャラは原作でも妹しか居ないと言って良い。しかもキョンのモノローグは、自身の内面を一切語らない逆転モノローグで、その心情は憂鬱Ⅵのラストシーンまでひた隠しに隠される(このアニメでキョンが言葉なり心情なりで正直な感想を述べたのは、憂鬱Ⅵのラストとライブアライブのラストのみ)。どこまでも隠蔽されるキョンの世界。それが妹への姿勢となると一気に日常へ落着する事を利用した、ギャップの表現だったのかもしれない。この直後には、ハルヒとの非日常が待っているのだから。
 「うそつけ」「ちっ…」のところは良いなw 「憂鬱」に関しては所謂マンガ的表現を一切使わないと監督(?)が言っていたような気がするけど、ここはキョンのイメージ内だからセーフな訳だ。谷口の印象も、キョンのいかにも良い友人的ポジションを強調してる。キョンには周囲との接点があるという場面。
 みくるは構成における対ハルヒとしての真価を発揮。みくるを空気だなんて言わせないぜ。キョンは迷惑だったかもしれんが。
 と言うか「図書館の話はしない事にした」という長門フラグが綺麗に削除されていて、こんなところにも構成の意図が見え隠れする。これDVDでの追加カットにあったら、ちょっと凄い。